認識論的に屈する理由

2011.03.31

多くの人文主義者は、科学がもたらした恩恵とともに科学を〈その答も与えてくれる学問〉として買いかぶり過ぎていたと信じている。彼らの見解によると、20世紀の大半の知的生活を特徴づける科学に屈服することで、人文主義思想の価値は低下し、科学技術に隷属する思いやりのない社会が出現した。科学の利用を拒否する時には、人文主義者は科学的方法をも拒否し、科学的方法を信奉する人々をもある程度拒否する。ヴァージニア大学のライフサイエンス学教授で先端研究センターの部長、ポール・グロス(PaulGross)とラガーズ大学の数学教授、ノーマン・レビット(NormanLevitt)は『高度な迷信(仮題)』(HigherSuperstition)という共著の中で、科学の拒否は、人文主義学者に報復のチャンスを与えるとも指摘している。第二次大戦後、科学と科学者は知的ヒエラルキーの中で実質的な挑戦を受けることなく第1位の地位を享受した。戦争に勝つのに、冷戦時の武装に、病気の治療法の発見に、技術的進歩による快適な衣食住の提供に、結局、科学者が必要だった。学究生活においては、その有用性ゆえに比較的豊富な資金を享受した。大きな知的威信も享受した。グロスとレビットは、つい最近まで支配的であったさまざまな学問の潜在的な序列について略述している。まず、信頼できる知識を生み出したという理由で、自然科学系(物理、化学、生物)の学者が1位を占めた。次に、歴史学者は事実に基づく知識を生み出したという理由で第2位だった。もっとも憶測がしばしば混じっていたけれども。その次に、経済学者は、少なくとも分析方法は厳密だったから第3位だった。彼らの仮定と、時おりは生のデータまでもが厳密でなかったとしても。そして、社会科学者は、統計学を駆使するかのごとく見えるが、実は印象主義的理論に耽溺したという理由で、ヒエラルキーの最下位から2番目だった。文学者が最下位で、救いがたく主観的だという理由だった。もし科学を拒否すれば、このヒエラルキーは逆になる。今や、人文主義者は、科学を、科学者によって構成された表現方法の一つの形態として論じ、他のものと同様、客観的でもなく、おそらくは、よりおもしろくないものと見なす。この再評価によれば、科学者の意見に認識論的に屈する理由は、もはやない。
[参考]
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