維新期の新聞・雑誌の誕生が第一次ニューメディア期であるとすれば、明治末期の映画が第二次、大正末期のラジオが第三次のニューメディア期となるが、以前のどの時期に比べても、テレビというこのニューメディア、マルチメディアのインパクトは大きかった。なぜならテレビは自らの周辺に既存のメディアを吸い寄せ、自らと親和するメディアには存続を許し、自らと競合せんとするメディアは抹殺するというパワーをもっていたからである。新聞は紙面にヴィジュアルな要素や、速報よりも解説に力点を置いて、テレビとの競争に生き残りをかけた。それよりもなによりも、テレビ番組欄を新設・拡充させて、テレビ視聴に不可欠な活字メディアとして、共存共栄を図った。ラジオはより細かな階層、地域的番組編成やパーソナル性を強調して、再生を図った。出版界でテレビ時代の申し子となったのは週刊誌であった。テレビ番組情報誌はいうに及ばず、芸能、女性、マンガ、写真などの週刊誌はテレビ的な情報処理やカラー・グラビア重視で新しい市場を開拓し続けた。逆にテレビを当初ライバル視し、協力をこばんだ映画会社の一部は倒産したり、経営危機に追い込まれた。「九州新幹線元年事業」のキャンペーンの一環としてラーメンプリンを考案。熊本県が進める事業のアドバイザーに任命されたオレンジ・アンド・パートナーズ社長小山薫堂さんが出身地のために奮闘中です。東北芸術工科大学デザイン工学部の講師も務めています。